旧被服支廠倉庫跡

旧被服支廠倉庫跡

旧広島陸軍被服支廠は、宇品港にも近い鉄道沿いに建設された軍需工場であり、軍服や軍靴の製造・調達・貯蔵等を担いました。被服廠は1886年に東京本廠、1903年に大阪支廠が設置されていましたが、1905年に広島での洗濯工場建設が決まり、1907年に広島支廠へ昇格という経緯をたどっています。なお、東京本廠と大阪支廠の施設は現存しておらず、本作は被服廠の貴重な現存施設といえます。

爆時には多くの建物は倒壊せずに残りました。また、臨時の救護所として多数の負傷者が収容されました。戦後には沢山の用途で使用されました。まず戦後すぐの頃は学校の教室として使用され、1956年頃から民間企業が倉庫として使用しました。1965年には現在の4号棟に広島大学の学生寮が設置されました。しかし、1995年頃には倉庫の使用が禁止され、同年に学生寮も閉鎖されました。それ以降次々と解体が進んで行き、現在被服支廠の敷地は空き家となった赤レンガ倉庫4棟の他は県立広島皆実高校と県立広島工業高校となっています。残った4棟のうち、広島県が1〜3号棟を所有し、国が4号棟を所有しています。







近年この旧被服支廠をめぐって保存するべきか、解体するべきかという論争が起きていますまず、2019年12月に広島県は「1〜3号棟のうち2棟を解体、1棟の外観を保存する」という安全対策の原案を発表しました。これには、様々な意見があり、「被爆建物として後世に残すべきだ」という声や、「保存費用がかかるため、解体するというのはしょうがないのではないか」というような意見がでました。しかし、広島県は今年の5月、広島県が所有する3棟を来年度にも耐震化する方針を正式に表明しました。

 

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